
お時間を頂きありがとうございます。先ず、自己紹介をお願いできますか。音楽のキャリアについてお伺いする前に、あなたご自身のことを少し。つい最近、Go Go's Musicという新レーベルで、あなたのキャリアに新たなページを記し始められた訳ですが、そのお話の前にあなたと音楽との出会いに関してお尋ねしたいと思います。初めて音楽に触れたのはいつですか?
インターネットを通じてインタヴューを受けさせてくれてありがとう。ボクについてのバイオグラフィーは色々あったけど、どれも完全なものではなくて…でも、このインタヴューで完全なものにできるだろう。音楽はボクの人生で欠かせないもの。根っからの音楽好きで、子供の頃にはもう蓄音機の前に立って、曲がどういう風に作られているのかを理解しようとしていたんだよ。だから、すぐに音楽学校に入ってコントラバスを専攻、修了したんだ(もう何年も前のことで、どのぐらい前のことだったかも思い出せないけど)。それから急にエレキベースをやりたくなって、ナポリのグループいくつかと一緒にイタリア中をコンサートして回ったんだ。音楽は全般的にどんなジャンルでも好きだけど、特に70年代のダンスミュージックはずっと好きだったし、今でも好きだね。あと、スタジオで曲のフレーズを色々と考えて時間を過ごすのが好きで、人には時間を掛けすぎだって言われるけれど、このやり方が好きなんだ。曲の数よりも質を大切にしたいから。結婚していて、素晴らしい子供が3人いる。みんな芸術、音楽、ショーが大好きでね、末っ子のフィリップはまだ8歳だけどヴァイオリンを弾くんだよ。
1984年からの数年、あなたはイタロの世界で一番有名で一番優秀な人たちとワークされ始めました。その人たちのことを少しお話し頂けますか。特にマウロ・ファリーナとジュリアーノ・クリヴェッレンテのことを(私のお気に入りのプロデューサーなんです)。彼らとは素晴らしいコラボレーションをされたと思われますが、ファクトリー・サウンド・スタジオにはよくいらっしゃったんですか?彼らと一緒に沢山の曲を作られていますが、どういう経緯で彼らと出会ったのですか?
マウロ・ファリーナとジュリアーノ・クリヴェッレンテは現代のユーロビートのプロデューサー全員の師匠だと言える。彼らとは80年代にたまたま出会ったんだけど、当時ボクが一緒に演奏していたグループをプロデュースするために彼らのスタジオに行ったんだ。それでマウロから一緒にやってくれないかと頼まれて、即座にOKした。自分の人生でも楽しい時期だったね。音楽の世界で二人の素晴らしいプロデューサーと一緒に仕事の仕方を学んだし。彼らには永遠に感謝し続けるだろう。
ジャンニ・コライーニ、ステーファノ・クンダーリ、アレッサンドロ・ザンニについてもお話し頂けますか?あなたのお名前を初めて見たのはケン・ラズロの『Hey Hey Guy』という曲でのことでした。私の知る限り、マウロ・ファリーナがあの曲をあなたに持ち掛けたんですよね?あの曲についてもう少しお聞かせ頂けますか。マウロ・ファリーナがあの曲をメモリー・レコードにオファーするために電話したことと何か関係があるんでしょうか。
ジャンニとボクはずっと友達で、彼はボクが一緒に演奏していたあるグループのヴォーカルをやっていた。クンダーリとザンニはメモリー・レコードのオーナーで、ボクにケン・ラズロのデビュー曲を書かないかとオファーしてきたんだ。『Hey Hey Guy』はボクが全部書いたもので、マウロたちはこのプロジェクトには関わっていない。ボクが書いてプロデュースして、メモリー・レコードがリリースした。それと電話の声はマーク・タワーのものなんだよ。ボクの知る限りでは、マウロ・ファリーナはメモリー・レコードには関係していない。だから、マウロがメモリー・レコードにあの曲をオファー云々の件は何のことを言ってるのか分からないんだけど。
イタロ・ディスコのキャリアの中で何か曲を歌われたことはありますか。あるのでしたら、それはどの曲ですか。また、歌われたことがないのでしたら、歌いたかったけれども機会が無かったということでしょうか。
ボクは一度も歌ったことが無いし、歌いたいと思ったこともない。ボクはシンガーではなく、ミュージシャンだから。
イタロ・ディスコはお好きでしたか。それともただの仕事だと考えられていましたか。
すごく好きだった。世界中の人たちに80年代のダンスミュージックを聞きにあの時代に行ってもらいたいぐらいだ。ボクは仕事を楽しみだと考えているし、これからもそう考え続けるだろう。でなきゃ、やって来れなかったと思う。
お気に入りのイタロの曲とアーティストを教えて頂けますか。
『Easy Lady』とイヴァナ・スパーニャの80年代の全曲!あの頃の伝説となっている。
80年代のイタロをどう思われますか。
イタリアン・ミュージックにとっては実に発展的で幸せな時代だった。やっと我々イタリア人も世界に存在を知らせることができたんだから。世界中にエクスポートされた曲の例として、RAFの『Self Control』を挙げよう。
一緒に仕事をしたかったのに、そのチャンスが無かったというアーティストはいますか。また、そのことを後悔されていますか。
繰り返しになるけど、ボクがやってきたことは全部自分がやりたかったことなんだ。少しも後悔はないね。
あるイタロ・ファンがステーファノ・クンダーリの情報を探していて、彼が亡くなったと聞いたというんですが、彼の近況をご存じありませんか。
ステーファノは90年に癌で亡くなったんだ。彼とは仕事上の関係だけでなく、深い友情で結ばれていた。我々みんなにとってすごいショックだった。
あなたは長年に渡り、伝説のジーノ・カリアとメモリー・レコード、サイファム、タイム、フレアなどのレーベルでコラボレーションされていました。彼は偉大な作家、プロデューサーであると同時に、独特のヴォーカル・スタイルを持った素晴らしいシンガーでもありました。彼との思い出を少し語って頂けますか。
ジーノには卓越した独創性があった。そして素晴らしいシンガーだった。斬新で革新的なアイデアに溢れた非常に個性的な人だった。彼とボクは大親友で、何年間も一緒に仕事をした。彼の死は彼を愛する人たち皆にとって大きな損失だった。本当に沢山の人から愛されていたんだよ。
ジーノ・カリアはジャンニ・コライーニと同様、実に多くの曲を歌いましたね。彼らは二人ともあなたが作っている音楽に非常に大きな影響を与えていたと思います。そして二人ともイタロ、ユーロビートの顔だと認知されています。彼らの特質を敢えて比べて語って頂けますか。どちらも大変個性的な人ですが…
音楽への情熱の大きさという点では結び付けられても、彼らは全く違うタイプなので、比較するということは不可能だよ。ジャンニは特有の才能に恵まれた当時の大歌手だった。そのせいでチョンボすることもあったけど。ジーノはすごく几帳面な人で、ちょっと頑固過ぎと思われる節さえあった。でも、欠点ではなくてそれが彼の特質だったんだ。そのおかげで偉大なシンガー、偉大なプロフェッショナルになれたんだと思う。
Author:俺様ちゃん
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