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Labirinto di Oresama ~俺様的迷宮

Eurobeatの周辺のどうでもいいような話を中心に

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Bratt Sinclaire Interview 1

結構まめに更新されていたDeltaのカタログも、12月6日以降更新がストップしています。やはり想像していた通り、あれはジェルメッティさんが更新されていたのでしょうか(笑)。

Deltaと言えばSEB vol.165のノンストップにたった2曲しか収録されませんでしたが、お家騒動に対する@社のお仕置きなんじゃないかと変に勘ぐってしまう俺様ちゃんです。

今、Deltaはどうなっているのでしょう。ということで、ブラット・シンクレア氏に突撃インタヴューを試みました。

というのは大嘘です、すみません。ブラットのオフィシャル・サイトに載っているインタヴューを訳させて頂きました。ブラットの話では、このインタヴューは04年に@社がファンからの質問をまとめ、SEB vol.150/160のDVD用に行ったものの完全版なんだそうです。収録時間の関係で大幅にカットされているので、完全なものをサイトで発表し、ファンからの質問に対してどう答えているのかを知らせたかったんだということです。
自己紹介と子供時代のことをお話し頂けますか。

ブラット・シンクレアことアンドレア・レオナルディです。1967年4月、イタリアのミラノ生まれで、現在38歳。

両親は二人とも数学の教師をやってたんだ。数学教師の息子だということが、どんなにやっかいなことか分かるよね。子供時代の夢はカウボーイかダイバーになることで・・・でも、両親にどちらにもなれないと説得されて。それで親と同じ道を進むことに決め、数学を勉強したんだ。本当はあんまり好きな教科じゃなかったんだけど。学校の成績はマジで良かったよ。でも、すぐに気付いた。これは本当にやりたいことじゃないって。


あなたの音楽的背景についてお話し下さい。

音楽には子供の時から興味を持ち始めたんだ。両親がレコードをたくさん持ってて、その中から自分で選んだのを聞きながら、よくベビーベッドで眠り込んでいたらしいよ。聞きたいのを指差して、「ぼく、これがいいの、これがいいのぉ~」って言ってね。たくさんある中からいつも決まったものを選んでいたから、両親はすごくビックリしたみたいだね。

親に望まれるまま学校に通い続けたんだけど、ボクが本当に熱中していたのは音楽だった。やっと、父と母もボクに教師になるつもりがないことを分かってくれて・・・それで、父が同僚の音楽の先生に紹介してくれて、ギターのレッスンを受け始めたんだ。それからすぐにジャズ・ギターのレッスンに変って・・・。レッスンは17歳まで受けてたよ。

79年にAC/DCのライヴLP『If you want blood you've got it』を聞いて、その時からボクの『ロックン・ロール・ダムネイション』(ロックン・ロールの破滅)が始まった。その後すぐに最初のエレキ・ギターとアンプを買って、友達を何人かバンドに誘い込んで、カバーや16、17歳の時に自分で書いたオリジナルの曲を演奏したんだ。それからミラノのいくつかのバンドと一緒に、ロック、ハード・ロック、ヘヴィ・メタルを演奏するようになって、自分のベッド・ルームに設えたスタジオで曲をレコーディングした。ボクの最初のレコーディング・スタジオは『Bedroom Studio』って呼んでたんだ。自分のバンドの最初のデモをレコーディングしたのも、レコーディング技術を磨いたのもそこでだったんだよ。

88年にボクのバンドは3ヶ月のカナダ・ツアーに出発した。クラブで演奏しながら良質のロックン・ロール・ライフを満喫できた。才能のあるミュージシャンたちに出会って、すっごく感動したんだ。

イタリアに戻るとすぐに、カナダに居る時に得たスキルで活動を続けた。彼らがカナダで見せてくれたミュージック・ビジネスにおけるプロ根性と熱さには、いまでも感服しているよ。

幼馴染みのアルベルト・コンティーニに頼まれて、いくつかの地元バンドのレコードのプロデュースをしたんだけど、その中には彼のHMバンド "Bulldozer"の『Live in Poland』というレコードもあった。それが大ヒットになって、我々のコラボはこんな風にして始まったのさ。


あなたのユーロビートの背景についてお話し下さい。

ユーロビートの制作に関しては、コンティーニから連絡があって、彼が当時既に日本向けに取り掛かっていたこの新しい音楽ジャンルのための曲を作ってくれと頼まれたのが始まりだった。彼は日本マーケットにイタリアのダンス・ミュージックを売り込みたがっていたから、"チーム"を増強しなければならなかったんだ。デイヴ・ロジャースのLPを聴いて、ボクはそのメロディーから伝わって来るエナジーが気に入った。

で、自分自身この種類の音楽をかなり前から聴いていたことに気付いて、それをもっとアグレッシヴなものにすることで、一層磨き上げてみたくなった。それで自分流のタッチを付け足して、最終的に完成した曲をコンティーニに聴かせたんだ。彼はその結果に非常に満足してくれた。コンティーニはジャンル的にそういう違いを持った二人のプロデューサーが自分のチームに居たら素晴らしいだろうと考えた。

ボクはミラノの自分のスタジオでいくつか新しい曲の制作に取り掛かった。
そしてその後、マントヴァのデイヴ・ロジャース・スタジオで完成させた。我々はこのチームが大成功を修めることになるだろうと実感した。


最初の曲はどうやって生まれたのですか。

ボクがプロデュースした最初の曲は、以前のバンドの曲で自分で何年間も演奏していたものだったんだ。"The Big Brother"がその曲を歌った・・・『Ohoho girls are dancing』がそのタイトル。コンティーニが楽曲の制作を依頼してきた時、ボクの前のバンドのロックの曲をユーロビートっぽいものに、チャートを登りそうなものにしてくれということだったんだ。一旦ミラノの自分のスタジオに戻って、その曲に新しいアレンジを加えて、マントヴァでデイヴ・ロジャースと一緒にプロデュースした。この曲はデイヴ・ロジャースのプロデュース作品としてリリースされたけど、ボクが注ぎ込んだ仕事量は明らかだ。


では、あなたが最初にプロデュースしたのはどの曲ですか。

Virginelleの"Tango Tango"。ミラノのスタジオで取り掛かって、マントヴァで仕上げた。その時には、ボクはまだ正式にはA-Beat-Cで活動していることにはなってなかったけど。コンティーニはこの曲を電話で聴いて気に入ってくれたんだ。"Tango Tango"はそこそこヒットしたね。ファンはこの曲に新しいスタイルがあることに気付いた。新しい曲作りの手法に、新しい音に気付いたんだ。これが最初の曲で・・・多分、そんなに大した曲じゃなかったかも知れないけど、ボクはすごくワクワクしてたし、最初の作品に満足だったよ。


あれほど成功していたA-Beat-Cを辞めて、Deltaを設立しようと決めたのはどうしてですか。

Deltaは94年にできた。A-Beat-Cで働くことが、みんなが疲れて、強制させられているように感じるまでに達したんだ。新しい曲をプロモートし、チャートインさせ続け、昼も夜もなく働いていた。会社にとっては大変な成功だったけど、我々全員にとっては大変なストレスだった。アルベルト・コンティーニとデイヴ・ロジャースと話し合って、ボクはミラノに戻って、モンツァでA-Beat-Cとのコラボをしながら、自分のスタジオを開くという考えを伝えた。

ミラノにシンクレア・スタジオを開いて1年ほど経った時、クララ・モローニに出会ったんだ。クララとローラン・ニューフィールドは二人とも、何か新しいものを、多くのエナジーを注いで新しく始められるものを捜していた。こうして、モローニ、シンクレア、ニューフィールドはチームになろうとしていたんだ。

コンティーニに自分のレーベルをスタートさせるからA-Beat-Cを辞めたいと説明して、Deltaはその後すぐに誕生した。日本のAvexの会長、トム・ヨダと会った。彼はボクたちが新しいレーベルをスタートさせるというので、非常に喜んでいた。そして、それまでプロデュースして来たユーロビートのグッド・エナジーを保つという条件で、彼はDeltaに任せてくれた。


あなたがプロデュースした曲のベスト5を挙げて下さい。

それはファンに訊くべきじゃない? そうだねえ、5つ以上は確実にあると思う。特に何曲かは日本で有名なアーティストにカバーされたからね。

年代順に見ると、"King and Queen"、ドミノが歌ってMAXがカバーした"Tora, Tora, Tora"、ユーロでも大ヒットしたけど、カミング・センチュリーのカバーでもっとヒットした"Tokyo, Tokyo"、この曲は今でも彼らがコンサートで歌ってるらしい。それからチェリーの"Yesterday"、一番最近のでは"Night of Fire"。


アイデアはどこから来るんですか。

時々自分でも不思議に思うんだ。もし誰かがボクに、ボクがこの10年間に500曲以上の作曲をすることになるだろうと言ってたとしても、絶対信じなかっただろう。

うーん、プロセスはすごくシンプルなんだ。ギターを持つと、ファンがそのアーティストから聴きたいだろうなあ、と思うメロディーが浮かんでくる。それに集中していると、途中でアーティストがボクの曲を唄ってるんだよ。自然に出てくるのさ。


"Night of Fire"はあなたの最大のヒット曲の一つとなりましたが、そのことで他の曲作りに何か影響はありましたか。

"Night of Fire"は多くの違った意味で、ボクの最大のヒット曲の一つとなった。日本でのヒットに加えて、この曲はイタリアの音楽マーケットにも影響を及ぼしたんだ。このジャンルは日本向けのものなのに、何人かのイタリア人記者からコンタクトがあったのさ。この曲がイタリアでも成功したのは驚きだった。

"Night of Fire"はボクがプロデュースしてしばらくしてからヒットになった。この曲がボクのナンバーワンになる前に、色んな曲をたくさん作っているんだけど、99年から02年の間は、この曲を書いたことで、途方も無い負担を感じた。この曲の後に書いた曲が全部、その特定のスタイルで作らないといけないみたいなことにはなりたくなかった。心をクリアーにして、いつでも違ったものが浮かんでくるようにしたかったんだよ。だけど、外から入ってくるものはどうしようもなかった。ブラット・シンクレアは"Night of Fire"に結び付けられた・・・まるでそれがボクの作った唯一の曲であるかのように。ボクはなんとか先へ進んで、他の素晴らしいユーロビートをプロデュースしようとした。

to be continued...
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この記事に対するコメント


いやぁ本当にお疲れ様でした!
彼の承諾を得てからの訳が素早いですね(笑

私もあれを見て解っていましたが、NIGHT OF FIREの重圧に相当苦労されていたようですよね・・・。
これは聴いてる側に問題が有りますよね。
新たなアプローチを試みると、なんか違うんだよな・・・とか、色々と・・・。
トップを取った人故の苦労ですよね。

この辺はネット繋ぐ前から胡瓜氏からネットでの評価は窺ってました。
その時、「なんて耳の悪い人達が多いんだろう」と本気で残念に思ったのも事実ですね。
世論に流されている方もたくさん居るはずです。

私は本当に彼の作品のファンですから、どんな風に言われようが応援し続けます。

と、まあ語ってしまいました(笑
【2006/02/27 20:30】 URL | イシターク #-


イシタークさん、毎度労いのお言葉ありがとうございます。
この部分は前から粗方用意してあったので、素早いです(笑)。

評価はそうですね、世論に流されてる人も多いだろうと言うのはよく分かります。私もそういうものには影響されたくないので、映画を見るにしても、音楽を聴くにしても、先入観を持たないように、自分で見聞きする前にはレヴューは読まないようにしてます。というか頑固なので、別に読んでても影響されたことはないんですが(爆)。これもまた困ったもんですね。

私は彼ってロッカーだったので、豪快な人なんだと思ってたんですが、どちらかと言うと繊細な人なんだなぁ、と目からウロコでした。(既に先入観を持ってしまってた訳ですが 苦笑)

【2006/02/27 23:17】 URL | 俺様ちゃん #JZ2AL5Xs [ 編集 ]


 > 俺様ちゃんさん
いい話きかせてもらいました。ヒットすると大変なんですね。もしかしたらブラットは抵抗するかのように作風を無意識に変えたのかもしれないなんておもいます。(私はNIGHTOFFIREよりMONEY GOが好きです。) 
どうでもいいことですがGIRLS ARE DANCINGのメロディーはALEPHのBADPOWERに似てると思います。(昔わかるまでなやみました)
【2006/02/27 23:25】 URL | MAKOTO #-


やっぱり作曲家のみならず、モノを創造するartistという人が傑作のせいで自分に凄いプレッシャーを与えるというのは本当だったんですね…

正直言ってしまえば、最近のSEBに収録されている彼の曲には魅力を感じません。ただ、それが“脱NIGHT OF FIRE”をはかる為のものだとしたら、これからの彼に期待したいですね。…かれがどこに行き着くのか、と。

ふと疑問に思ったんですが、イタリアの制作チームは自分の曲がどれぐらいHITしたかってどの様に調べてるんでしょうか?もちろん@とかが制作チームに伝えてはいるんでしょうが…

関係ないですが、みつぐさんは「第2の“ナイト・オブ・ファイヤー”は、いつ作るんだ!」とか聞かない方が良いんじゃないんでしょうか(笑)
【2006/02/28 10:06】 URL | 玉鬼feat.マック #-

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2006/02/28 14:55】 | #


>MAKOTOさん
MONEY GO!と言うと最近知ったんですが、あの曲ってアレンジとミックスはジェルメッティさんだったんですね。ずっとブラットだと思ってました。
AlephのBad Power・・・すっかり記憶に残ってなかったので、今聞いてみたんですが、AメロとBメロがBad Desireに似てると思いました(笑)。

>玉鬼さん
どのぐらいヒットしたか・・・ほんと、どうやって分かるんでしょうね(笑)。というか、私も常々疑問に思ってたんですが、SEBとかってコンピレーションなんだから、そのvol.毎の売れ行きは分かっても、その中の1曲1曲がどれだけ売上に貢献したかなんて実際、分かりませんよね。あ、まあアンケートハガキでどの曲が気に入ったかってのはありましたけど。ヒットってやっぱりフロア受けのことを言ってるんでしょうね(爆)。

みつぐ先生のあの記事は、よく考えると別の意味ですごいですよね。ジェルメッティさんにそんなことを訊いたら、『それはブラットに訊いてくれないと・・・』って言われそう(爆)。Yesterdayも違うし・・・
【2006/02/28 20:20】 URL | 俺様ちゃん #JZ2AL5Xs [ 編集 ]


>俺様ちゃんさん
MONEY GOは曲は3人で作ったんですが、僕もアレンジとミックスはブラットだと思ってました。あのつくり方はブラットぽいんですがね。話が変わりますがソフィーのTHE ONLY REASONを10年ぶりに聴いたらサビの一部分クララがメインで歌ってました。(たぶん)いまさら発見しました。(笑)
【2006/02/28 23:10】 URL | MAKOTO #-


>MAKOTOさん
あと、Let me be your babyとRound & roundにブラットが関わっていたのも意外でした。Lay your hands on meはオリジナルミックスはブラットだったんですが、@社からもう少しユーロっぽくして欲しいと頼まれて、CDに収録されたのはジェルメッティさんヴァージョンなんだそうです。『へ~っ』と思いました。

The only reasonは持ってないんですが、ソフィーなのにクララがメインなんですか(笑)。
【2006/03/01 11:41】 URL | 俺様ちゃん #JZ2AL5Xs [ 編集 ]


tokaiks : 素敵なブログですね、お互いがんばりましょうね、わたしのブログご案内します、みてくださいね。ジャズ、ジャズギター、ロック、ブルーズ、アコースティックギター、サスペンス
そしてオールディーズな世界などに興味のある方、面白いとおもいますよ。

* tokaiks
* 連載小説  レッドギター
* http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiks
* www.jin.ne.jp/woods
* toneblue@ezweb.ne.jp
【2006/07/06 18:47】 URL | 連載小説  レッドギター #oq9Vk0YM [ 編集 ]


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